東京高等裁判所 昭和30年(う)2160号 判決
被告人 中島清
〔抄 録〕
論旨第四点の(二)の所論は、恐喝罪は、単に脅迫をもつてその手段とするに止まり、暴行はこれが手段たりえないものであるのに、原判決は、被告人と原審相被告人田谷泰愛とが原判示平野快次同原田敬より原判示腕時計を喝取するに際し、殴打、足蹴等の暴行をその手段とした旨認定しているのであるから、原判決には、この点につき法令の解釈を誤つた違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである旨主張するにより、案ずるに、恐喝罪は、人を恐喝して財物を交付せしめることによつて成立する犯罪であつて、恐喝とは、財物を交付せしめる目的をもつてする脅迫をいい、恐喝罪の手段たる脅迫とは、人をして畏怖の念を生ぜしめるに足りる害悪の通知であつて人の反抗を抑圧する程度に至らない場合をいうものと解すべきであるから、暴行を加えることも、若し財物を交付しないときは、更に暴行が反覆継続せられる旨の黙示の表示と認められる限り、人の反抗を抑圧する程度に至らない場合は、恐喝となり得るものと解すべきところ、原判決の認定したところは、既に論旨第四点の(一)に対する判断の項に掲記したとおりであつて、原判決挙示の関係証拠に徴するときは、被告人らが被害者平野快次に対して加えた原判示暴行は、これを目撃していた被害者原田敬に対しては、同人が若し被告人らの要求に応じないときは、右平野に対すると同様な暴行が加えられるかも知れない旨の黙示の表示とも認められるような状況にあり、また、右平野自身に対しては、同人が若し被告人らの要求に応じなければ、更に暴行が反覆継続せられるかも知れない旨の黙示の表示とも認めえられる状況にあつて、且つ、人の反抗を抑圧する程度に至らないものと認められない訳ではないから、原判示にかかる被告人らの爾余の言語、態度等と相待つて、前示被害者両名に対する各恐喝罪の手段となり得るものといわなければならない。なお所論は、被告人らの原判示暴行は、相手方に傷害を負わしめる程度のものであつて、人の反抗を抑圧する程度に達しているから、恐喝罪の手段とはならない旨主張するけれども、該主張は、被告人に不利益な事項を内容とする主張であつて、被告人のための控訴理由としては許されないものであるばかりでなく、原判決挙示の関係証拠によれば、前示暴行が、必ずしも、相手方の反抗を抑圧する程度に達していないと認められないこともないことは、前説示のとおりであるから、この点の所論も採用できない。してみれば、原判決がその判示第一の恐喝罪の事実について、所論暴行の事実をも認定判示し、これに対して刑法第二百四十九条第一項を適用したからといつて、原判決に所論のような法令の解釈を誤つた違法があるものということはできない。論旨は理由がない。